2019年06月22日

マニア未満。

先日、友だちとサザンオールスターズのコンサートに行った。

会場へのシャトルバス乗り場に並んでいると、自分が一番年下ではないかって思えるほど年齢層が高かった。「こんな感覚、最近はなかなかないなぁ〜」と思いながら、サザンもファンも長い年月を経てずいぶんトシを取ったのだとしみじみとした感慨があった。

そんな私よりもずっとファン歴が長くて、マニアとも呼ぶべき友だちと、帰りに夜ごはんを食べた。

その時、ポツンと友だちが言ったのが「サザンや桑田さんのことを私と同じくらい好きで、いつでも好きな時にあーでもないこーでもないと話して盛り上がれるパートナーがほしいってずっと思っていたけど、そういう人とはついに出会えなかったな〜」だった。

彼女のダンナ様はそれなりに彼女の好みに合わせられる人で、ドライブの時にかけるのはもっぱら彼女が選曲して作ったディスクのようだけど、「盛り上がれる」ほどサザンについて語れる感じではない。

そういうことって、ある。

好みや趣味がピッタリ同じで、「盛り上がれる」くらい二人ともそこに造詣が深くて……というカップルが世の中にはいるけど、自分にはそういうことが起こらない。

私がかつて思っていたのは、野球に詳しくて、詳しいということはおそらく学校や大学で野球をやっていた人、そういう人の隣で経験も交えた詳しい解説を聞きながら野球を見たいということ。

その願いは、ほんの一日限定で叶ったことは何度かあったけど、パートナー的な人といつでも、というふうになったことはない。

で、うちのダーリンと私はどうか。

ダーリンは、およそ運動とは縁がない感じで、いわんや野球をやなんだけど、それでも私はとても満足してます。

地元にプロ球団が移転してくると聞いて、一生懸命選手名を覚えて応援するようになったらしい。もちろんルールも知ってるから、多少は専門的な会話もできる。最近では、お気に入り選手がいなくなった私よりも熱心に試合を見ようとする。
競技経験がないので、かつて私が求めていたような、経験をふまえた解説が聞けるとはならないけど、それでもいっしょに試合を見るのは楽しい。

音楽に関しては、小学校時代からクラブ活動や部活で楽器をやって、大学ではアマオケに入ったくらいクラシックオタクだ。私も両親の影響でクラシックは好きだし、ピアノも趣味では弾いたりするけど、知識も経験も素人の域を出ない。だから、自分より詳しいダーリンの感想や知識を聞くのが楽しくて大好き。私も素人なりの感想を言ったり質問したり、それなりに盛り上がる。

つまり私たちは、サザンマニアの友だちが言うように「二人とも(同程度に)造詣が深い」ものはないけど、お互いに満足できる形で盛り上がれる趣味はある。

それに、全般的に彼の方が物知りだし教えることをいとわないので、私は知らなかったことや今まで疑問だったことを、結婚してからいくつも知ったり解決したりできてる。すでに記憶力がアレなので、すぐに忘れてしまうことが多いのが残念だけど(笑)。

そこでふと考える。

ダーリンにとって私はどうなんだろう??

私と同じくらいには「この話で二人で盛り上がれる」と認識してくれてるものがあるかなぁ。

もしかすると、クラシックの話をする時は、私相手じゃ物足りないって思ってるかもなぁ。どこかで、サザンマニアの友だちと同じようなボヤキを言ってるかも!?

でも、そんな私にウンチクを語ったり経験談を披露したりして、ドヤ顔はできてるよね?

それで許してほしい。


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2019年03月21日

古本と楽譜レンタル。

うちのダーリンと私の間には、主義や意見や考え方や習慣や好みや…いろいろ違うところがある。
でも、わたくし的には「似ていたり近かったりする」ところの方がたくさんあると思っていて、時々違うところを発見すると、むしろそれがおもしろいと感じたりするくらいだ。

そんな数少ない違いの中に、「古本」への考え方がある。

私は基本的にチマチマと節約するのが好きなので(そのくせ下らない浪費もしてるらしい)、本は文庫化ののち、さらに古本屋に出て来て初めて買うことが多い。というか、なるべくそうする主義だ。
これに異を唱える人は今まで私の周りにはいなかったので、ダーリンは初めて「異」を突きつけて来た人なのだけど、曰く、「それじゃあ、作家の人に正当に対価が入らない」というような主張だった。

言われてみればそうなんだけど、でも、確か今はレンタルCDも古本も、それはそれで何らかのものが本人に入るようになったんだよね?
と、私は思っているので(違ってたらすみません)、資源保護の観点からもレンタルや中古品市場を一概に否定しなくても…と言っている。

それに、古本には、昔からロマンを感じる。
図書館とかの本もそうだけど、同じこの本を前に読んだ、あるいは所有していた人がいて、その痕跡が感じられる場合があるよね。
図書館の本は折り目や傍線はつけちゃダメだけど、それでもついてることがあるし、古本に至っては、買い取り価格に影響したり、買い取れないと言われてしまう原因にもなるものだけど、そういう「前の人」のつけた何かが事件やロマンスなどの物語のカギになる、みたいなストーリーの小説があって、そういうのはすごく楽しい。
そうじゃなくても、あ、この部分が気に入った人がいるのか、とか、ここで泣いたのか?という涙の跡だったり(あるいは飲み物をこぼしただけかもしれないが)、そういうのを感じたりするのはちょっとおもしろい。もちろん、逆に邪魔くさい時もあるんだけど。

話はズレるけど、ダーリンによると、オーケストラで曲を練習する時に、全団員分の新しい楽譜を買いそろえるのはけっこう費用がかかるので、楽譜レンタルというサービスがあるのだそう。そんなの初めて知ったけど、よく利用されてるらしく、だったらそれってどうなの?と思わないでもない。まあ、作曲家は故人が多くて著作権も切れてるから、対価がどうこうって話にならないのかもしれないけど、楽譜の出版社的にはどうなの?
(このへんの話は、もっと詳しく教えてもらった気もするんだけど、詳細は忘れた)。

で、レンタルの楽譜なのに、やっぱり指揮者の指示(?)とかを書き込んじゃってるのがあったりするらしい。

私の元ピアノ講師の友だちが、以前、要らなくなったピアノの楽譜をくれたことがあって、それもやっぱり彼女が師匠から受けたご指導の跡がみっちり書き込まれていたのだけど、これなんかは私にとってもためになる書き込みなので、むしろ大歓迎。
でも、オーケストラとなると指揮者によって表現のしかたも違いがありそうだし、書き込みされてたら困らないのかな。

さておき、今、私は「村上ラヂオ2」を読み終わったところだ。
もちろん古本だったのだけど、その116ページ、「新聞ってなに?」とタイトルされたところに、一枚のレシートが挟まっていた。
それがなんと、ここから遥か離れたジュンク堂神戸住吉店のもので、この本がいったいどういう経緯でこんなところの古本屋までやって来たのか、考えるだけでワクワクしてしまった(単にチェーン内での在庫の調整かもしれないが)。

そこには2冊の本の購入が記されていて、私は1冊がこの本でもう1冊も村上春樹の別の本だろうと推察した。
きっと、かなりの春樹ファンだね!と。

読み終わったら、商品コードをネットで調べてみようと思って、とりあえずはそのまま読み進めた。

そして、読み終わって満を持して調べたのだけど、結果は…

『左利きの人々 渡瀬けん 著 (9784046025586)』

だそうでした。

この人(前持ち主)、左利きなんか??

しかも、特に春樹ファンってわけでもないのかもしれん。。。

となると、116ページに挟んだレシートがしおり代わりだったとして、そこに挟んだまま古本屋に売ったってことは、おもしろくなくてそれ以上は読まなかったっちゅうことか!?(これはファン違ゃうわ)

神戸だけに、ニセ関西弁で妄想が膨らむ。

しかも、さらにナゾなのは、2冊の印字、どっちもコードがまったく同じ数字で、値段が530円と515円ってことだ。

同じ本を2冊買うのも、同じ本なのに値段が違うのも、ナゾ過ぎる。。。

古本で、ロマンよりもナゾが膨らんでしまった。

しかし、その人に伝えたい。
私は古本屋で、別に買う予定でもなかったこの本をたまたま見つけて、買ったおかげで、恐れ多くも大好きな春樹さんのエッセイでよいリハビリができて、今こうしてまたブログを更新してます。

それもこれも、あなたがこの本を売り飛ばしてくれたおかげです。

確かに、読んでる途中で、春樹さんに興味のない人にとっては、このエッセイ集は自然体過ぎのゆるいタッチに感じられるかもしれないと私も思いました。でも、粛々と読み進めると、最後にはやっぱり「さすが春樹さん」と思えました。

そう、2014年の1月5日、正月休み最後の日曜日に、退屈しのぎに買った「この本」で、退屈をしのげなかったあなたの代わりに、私が116ページ以降も読んで、5年ぶりにあなたの分の元も取ったとともに、「この本」の存在意義を、あなたが受け取った買い取り金額以上に高めたと言ってもいいでしょう。

ああ、これがネット購入なら、「村上ラヂオ」の画面の下の「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のところに「左利きの人々」が載ったかもしれなかった!
とりあえず、このレシートは「この本」を買った時のものではないのだろうけど、一人の人の趣味趣向を表してると言ってもいいよね。

それにしても…(以下略)

…と、新品の本をプロパーで購入しても、ここまでの妄想は膨らむまい。
やはり、わたくしは古本(のロマン)に1票を投じたい。。。

※一連の妄想が一段落したところで、そのレシートはまた116ページにそっと戻しておきました。これからまた5年、いや、私がこの本を売り飛ばさない限りは永遠に、そのレシートはナゾとロマンとともに116ページに封印され続けるのだわ。

※※しかし、そういえば、ダーリンは「もったいない」と言って、自分の古本は捨てずに売ったりしているんだよね???(貴重な(絶版になりやすい)本なのかもしれないけど。。。)


posted by miha at 11:00| 北海道 ☔| Comment(0) | 雑感とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月19日

手も小さいが、耳穴も。。。

市街地と言うのか、繁華街と言うのか、ショッピングや飲食する施設(オフィスも)が立ち並ぶ中心街が、ここにはない。いや、厳密に言えば、それらしい駅前の繁華街はあるんだけど、見事に飲食店とホテルばかり(に見える)。ススキノ的な感じだ。

だから、ここではいわゆる一つのウインドウショッピングはできない。
何かを買おうと明確に目的を持って出かける場合も、地元の老舗百貨店はあるものの、そこで気に入ったものがなかったら、そのショッピング行為は果たせずジ・エンドとなる。向かいの別のファッションビル、はたまた1区画向こうの別のデパートだかテナントビルだかに足を伸ばしてみようか、とはなりようもないのだから。

気の小さいわたくし、慣れないヨソの大きな街の大きな繁華街に踏み入れる時は、よそ者的な「お邪魔しまーす」モードになって、それなりに緊張するのだけど、逆に小規模な繁華街、ましてや一つの小規模なそこだけで完結した百貨店の中にお邪魔するのは、もっと緊張する。
そういうところは、そもそもお客も少なめなので、平日の昼間なんかに行っちゃうと、店員人口の方が多いのではないかと想像され、すべての目線がわたくしに集中して、四方八方から「買え買え」光線を浴びせられるのではないかと恐れ、数年間そこに踏み入れることさえできずにいた。
初めて行ったのはダーリンと一緒で、地下の食品フロアだったように思う。やっと地上部に参上したのも、それよりずっとあと、やはりダーリンと一緒で、沖縄物産展じゃなかったろうか?
つまり、通常の販売フロアではなくて、催し物会場だったということになる。

かくして、これぞまさに百貨店という普通の洋服売り場デビューするまでに、5年とか要したのではないか??
しかし、これもダーリンと一緒だったよね。比較的最上階に近い時計の売り場に修理を頼みに行って、エスカレーターで1階ずつ下りてみようと提案し、温泉で湯船に入る前にお湯をすくってちょっと体に掛けるみたいに、本格デビューの前にお試しで各フロアをぐるりと歩いてみたのでした。

はたして週末だったせいか、店員さんたちの視線を一人で一身に浴びるほどではなかったものの、浴びた視線はそれなりにプレッシャーがあった。
そして、ここはちょいちょい覗きに来ていればお気に入りが見つかるかも、と思えるようなテナントなりコーナーなりは、見つけられなかった。

というわけで、いくらなんでもそろそろ本格デビューを考えねば…と思ってはいたものの、もしかしたらこのまましないかもしれないと、今は思っているのである。

前置き長っ!

本題は、ただ一言。
だから、ここでの買い物は圧倒的にネットが多くなってるんだよね。
ってことなのだが。。。

で、この前、ちょっとした生活用品をネットで買う時に、同じショップの中の全然ジャンル違いのあるものが目に留まって、それもすごく安かったのでついでに買った、それが「耳掛け式イヤホン」なるもので、今まで私は耳穴に突っ込むかカチューシャみたいに頭から掛けるかのイヤホンしか使ったことがなかったわけですよ。

昔、電子ピアノで使っていたいわゆるヘッドフォンは、挟む力が強くて、長時間(私にも週末ごとに何時間もおけいこしていた時代があったのだった…)使用してると耳が痛くなってイヤだった。頭も鬱陶しかった。
普通に耳穴に入れるタイプのは2種類くらい使って、シンプルな性能でよかったのだけど、どっちもすでに壊れた。

その後、ピアノの練習のためには自分の出す音をなるべくそのままナマで聞きたいので、音質や聞こえ方を加工しない、性能の単純な耳穴イヤホンを求めて、大きな家電量販店に遠征して店員に相談して買った。
「この売り場では一番ナマの音に近いのでは」とすすめられ、でも「自分のスマホに入ってる音楽を聴いて試してみてください」と、自己責任で決めさせられたものだったのだけど、電子ピアノにはめて使ってみたら、メチャメチャ低音が強調される「性能」の持ち主で、裏切られた思いを噛みしめることになった。が、自己責任なのでどうにもならない。。。

しかも、それと同じくらいイヤだったのが、あまりに耳穴にフィットし過ぎる造り(最近は、そういう形のばかりみたいだ)で、これもおピアノおけいこにおいては具合がよくない。耳にすごく圧迫感を感じるし、まるで飛行機に乗った時みたいに耳抜きをしたくなるような状態になる(私だけ?)。
耳が密閉される感じになるのがよくないのかと、隙間をあけて装着すると、すぐズレちゃうし。

これはかなりストレスフルだった。

そんなこんなで、ちょっとおけいこからも離れ気味(←半分言い訳)になってしまった。

おけいこへのモチベーションを高める一手段としても、このイヤホン問題をどうにかせにゃならんと時々思っていながら、はや幾とせ。まさか、ボディソープの購入から解決の道が開けるとは。。。

耳掛け式は、届いてさっそく試してみたら、かなり具合がいい。唯一難点はコードが短いことで、高音部を弾く時に体を右側に傾けると線がいっぱいいっぱいになって下手すると耳からはずれてしまうことなのだけど、延長コード買えばいいよね!

というわけで、延長コードはまだ買っていないので、今のところおけいこもまだあまり進んでいない。。。(←言い訳)


posted by miha at 14:00| 北海道 ☔| Comment(0) | ピアノおけいこ日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月16日

マジメに「楽章間拍手」問題。

あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりました、お元気ですか。
お久しぶりです、こんにちは。

なんとびっくり、気づいてみれば2018年は一度も更新なしでした。
この1年あまり、どんだけのごあいさつをすっ飛ばして来たことか。

なぜ更新なし状態に気づかないかと言えば、常にネタを頭の中で転がしたりはしていて、時間が取れたら書こう書こうと思い続けているので、自分としては「すっかり忘れているうちに、こんなに時間が経っていた」というようなのとは違うってことでしょうか。つまり、意識の中にはわりと常にあるもんで。。。

しかし、新年あいさつすらしてなかったとは。
確かに去年はいろいろあって、若干忙しかったかもしれません。

さて、去年転がしていたネタの中で、今日は何を書こうかと考えるに、まず、コレを行ってみます。

クラシックコンサートで、昔からたびたび取り上げられるテーマ、「交響曲などにおける楽章間の拍手問題」。

この問題についての私の意見の変遷を書くと、ざっとこんな感じ。

楽章間に拍手するなんてあり得ない。
第一、曲を知らないってことを公言してるようなもの。
自分だったら、恥ずかしくていたたまれなくなる。
何より、その曲をちゃんと味わったり楽しんだりするためには、多少は曲を知ったうえで聞いた方がよいし、そうすれば、楽章間に拍手するなどという「失敗」もなくなる。

あるコンサートで、有名指揮者が「チャイコフスキーの『悲愴』では、(聴衆のレベルが高いと思われる)海外のコンサートでも第3楽章のあとに拍手が来ることがよくある」という例を出して、要は、あまり堅苦しく考えずに、気軽にクラシックを楽しみに来てください的な話をした時、それもそうだな、真面目に考え過ぎるのは日本人の悪いクセかも(?)と、アッサリ思い直す。

その後、楽章間にパラパラと拍手が来ると、曲によって「うん、ここで拍手したくなる気持ちはわかる」とか「これは単純に間違って叩いちゃったんだろう」とか、ある種のライブ感を伴った「コンサートの趣き」の一つとして、理屈抜きで淡々と受け止めるようになっていた。

そして、去年のあるコンサートの時のこと。
それはアマチュアの楽団の発表会で、客席の多くが親類縁者だったのではないかと思われ、おそらくふだんからクラシックが好きでよく聞いてるというような人はそんなにいなかったのだろう。子供が、孫が、友だちが出るから聞きに来た、みたいな感じだった。

で、わりと最初の方の曲で、楽章間に、明らかに曲が終わったと思って、多くの人が心からの拍手を送った。
「さもありなん」と淡々と受け止めたわたくし、やっと次の楽章が始まってから、ちょっと気になる空気が漂っているのを感じた。

会場全体が、何となく「戸惑っている」のだ。

中には、「あら、さっきは拍手するところじゃなかったのかな?まずかったかな」っていうのもあったのだろうけど、それよりも「えぇ?まだ続くの?」「いつまで続くの?」、はたまた「この曲は何?」「プログラムどうなってる?」というような感じの集中力の持てなさが手に取るように見て取れた。わりと後ろの方に座っていたもんで。

つまり、彼らの中では、曲はいったん終わってしまったのだろう。
演出として、曲目ごとに曲名を紹介してから演奏するというスタイルだったので、別の曲が始まったのではないことはわかっているだろうから、彼らにとって、どうしていいかわからないような、中途半端な状況が生まれてしまったのだと推察されます。
さっきまでステージに向けられていた期待感とか緊張感とか、そういった場ならではの好ましい雰囲気がすっかり変わってしまっていた。

そんなソワソワと腰を浮かせているような会場の雰囲気の中で、(延々と)その曲は続き、そして終わった。
全楽章を通して集中して聞いた、曲全体を味わったという充実感とは違うような、安堵のような拍手、仕切り直しのような拍手が送られた(ように感じた)。

何人かの人にとっては、その曲の2楽章以降は、「いつ終わるの?」的なつけたし、オマケみたいなものになってしまったかもしれない。と、思うと、演奏した人たちのために私は残念に思った。もちろん、(この曲を聞くのがこれで最後かもしれない)当人たちのためにも。

そこであらためて考えるに、確かに楽章間の拍手は、わかっていてあふれる感動を確信犯的に表現する分には、コンサートのライブ感を盛り上げる場合もあり、アリなのかもしれない。
でも、時として、自分のみならず、周りの人たちの集中力をも切らせてしまうことがあるんだということが、実感として痛いほどわかってしまった(特に、観察好きのわたくしのような聴衆は会場の空気の方に気を取られてしまった)。
少なくとも、あまり馴染みのない人が多く来るようなコンサートの場合は、(だからこそ、逐一、曲紹介を挟んでいるのだろうから)、そういう「聞き方」の指南もあってもよかったのではないか。

そんなふうに、一地方の小さなコンサート会場の片隅で、思った次第です。。。


※ちなみに、大方の意見はどうなのだろうと、ちょっとネットを見てみたところ、指揮者によっては楽章間の拍手をよしとしない姿勢を明確に示すことがあるようです。ご興味のある向きは「楽章間の拍手」などのキーワードでググってみてください。


posted by miha at 19:15| 北海道 ☔| Comment(0) | コンサートなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

昔語りのヴァイオリン。

先日、うちのダーリンの入っているアマオケの30周年特別演奏会に行ってきました。
このオケは、アマチュアにしては、よくこの人を呼べたなーと思うような指揮者やソリストを招くことが少なからずあって、今回もそのご多分に漏れずな方が指揮棒を振り、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリストも、お恥ずかしながらわたくしは存じ上げなかったのだが、ウィキペディアによるとなかなかすごい方のようでした。

っていうか、この久保陽子さんの演奏には、はからずも泣いたよね。

(聞けば、ダーリンもステージ上で泣きそうだったのだそう)。
何がって、もう弾き始めた瞬間から、その音色のやさしいこと、やさしいこと。
「うゎ〜、やっさしぃ〜〜〜」と、思わず心の中で叫びましたの。

決して、音量が小さいとかそういうことじゃなく、音が超〜まろやかなのだ。
ド素人の自分としては、これまで何か演奏を聴いて「円熟」という言葉を用いて感想を言うことなぞおこがましい、自分が弾けるわけもないものを、どの口でその「円熟」について語れようかと常々思って来たところがあるのだけど、今回ばかりは、これはまさしく「円熟」の域に違いない、と、確信いたした次第でございます。

しかも、ステージに出て来た時びっくりしたんだけど、大丈夫かなぁと思うくらいお年を召してらして、小柄でニコニコしたおばあちゃんなわけですよ。
指揮者のプレトークで久保さんのことが紹介された時に、高齢になられてから、20〜30代の演奏家でもかなりキツいのに、協奏曲3曲を一度にこなしたことがあるって言ってはいたけど、実際お姿を拝見するに、その時よりさらにお年を取られたわけだから…と一瞬心配になった人は私だけじゃなかったと思いますわ。

でも、弾き出したら、そんなのすぐに吹っ飛んで、豊かな音の波間に心地よく漂って、気づいたら泣いてましたの。。。

なんというか、冬の夜に暖炉の前でおばあちゃんのひざに抱かれて素敵なお話を聞かせてもらってる。ってな感じを想像していただくとよいか、と。(オフクロの味のヴァイオリンバージョン的な!?)

それでありながら、オケの音の厚みが増すところでも、決して埋もれてしまわないパワーも兼ね備えていて、いつの間にか周辺情報は忘れてすっかり引き込まれてました。
そこへもってきて、アンコールにパガニーニのカプリースが来ちゃったもんだから、もう「あっぱれあっぱれ」ですわ。もちろん、万雷の拍手鳴り止まず、で、2曲目のアンコールは「タイスの瞑想曲」でした。
これ、有名過ぎてどっちかと言うといつもなら食傷気味に感じるんだけど、あぁ、こんなにいい曲だったっけな〜ってあらためて思わせられる演奏で、自分でこれが弾けたらいいなと思ってしまうというオマケまでつきました。

指揮者のプレトークによると、久保さんは若いころは「天才」で、左手の動かし方など考えたこともなかったのに、年を取ってから「考えなくては弾けない」ようになったと言っていたそう。でも、その先の台詞がすごくて「そうなってからの方が(自分の演奏が)よくなったと思うの」とのこと。指揮者曰く、つまり、天才がさらにその先へたどり着いたということだ、と。
その言葉がこういうことなんだ、って、(自分なりに)納得させられる、まことにすばらしい演奏でございました。

会場では当然CDも売られていたのだけど、今日のこの生の演奏の感動が録音で違うふうになってしまったらイヤなので買いませんでした。

帰宅してから、これまで久保陽子さんを存じ上げなかった非礼をお詫びしつつウィキペディアで調べたそのプロフィールがなかなかすごいので(特に、幼少時に才能を見出されて上京に至るくだりとパガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位を取った時の「パガニーニ事件」と称されているエピソード)、ご興味のある方はぜひウィキペディアをご覧ください。
指揮者曰く、日本女性で国際的に活躍した最初のヴァイオリニストと言ってもいい方だそうです。

で、最後に、このような方をなぜ呼べたのかに戻るわけだけど、なんと久保さん、ここ数年、地元の某有名菓子メーカーがやってる某施設で教室を開いたりミニコンサートをやったりしてるそうで、そのご縁で実現した、とのこと。(都会の人にとっては、時々来るにはいいところらしい)。

わたくし的には、おピアノ界では、最初に国際的に活躍した日本女性は中村紘子さんかな?と思っているのだけど、その中村さんもお亡くなりになりました。かくなるうえは、ヴァイオリン界の久保さんには中村さんの分まで長生きしていただいて、これからもずっとすばらしい音を紡ぎ続けていっていただきたいと願うばかりです。


posted by miha at 18:10| 北海道 ☔| Comment(0) | 演奏家とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月08日

ある妄想。


今年は、ひょっとして一度も更新してなかったかなぁ〜?と思って開いてみたら、新年のあいさつらしきタイミングにかなり遅れて、一応書いていたんでした。

あれから、はや一年。皆様、いかが年の瀬をお過ごしでしょうか。

今年も、年一度の更新で終わっていたであろうところを、なぜこうして書いているかと言うと、今日は、一日をかけてしなければならないと思っていたことが意外に早く終わって、ぽっかり時間が空いた気分(あくまでも気分)になっていたので、ふと更新を思い立ったわけなのでした。
というのも、わたくしとて、ただ漫然と更新しないのではなく、する気は満々なのだ。たまたま、日々流されて生きてしまっているだけで、心の片隅には、いや、心の床の間に常に「更新」が飾ってあるのである。そして、飾ってはあるのだが、それを見てるだけの日がたまたま多いっていうだけの話で、やる時がくればやるのである。(大掃除みたいなもん?)

で、先日行った、とあるコンサートの話を。

それは、年に一回のダーリン所属のアマチュアオケの定期演奏会だった。
ショスタコの祝典序曲、グリーグのペールギュントの組曲からの抜粋をやって、休憩のあとはマーラーの4番というプログラム。
特にこの交響曲は難しいとのことで、今まで家で練習してるダーリンをほとんど見たことがないわたくしが、今回はついに練習の現場をおさえた!という事件が起こったくらい、演奏は大変だったらしい。
私はたぶん聞いたことない曲なんだろうなーと思って臨んだら、やっぱり知らない曲だったのだけど、わりと好きだった。

この曲の最大の特徴は、第4楽章に声楽のソロ(ソプラノ)がつくことだ。

3楽章の途中で、舞台袖に赤いものがチラチラしたと思ったら、おもむろに、しずしずと、彼女は入って来た。ドレスが赤かったせいか、柔らかい笑みをたたえた表情のせいか、舞台が急に華やいで、明らかに会場がソワソワし始めた。それまでもさんざん音楽でにぎわしていたのに、そこに異質なものが急に投入されて、しかもそれがすぐさまあたりに溶け込みつつ、気づくと枯れ野に大輪の花が咲いたように場を自分のものにしてしまっていたというか。つまり、それまで主役だったオケの音楽が、一瞬にして、彼女の引き立て役になってしまった、てな感じですか。

それにしても、途中でソリストが出て来るとは聞いていたけど、こういう出方だったとは。。。

心なしか、前のめりになる聴衆たち。
私も気持ち前のめりになりながら(何しろ、知らない曲なので、どういうくだりになったら歌い始めるのかとかわからないし)、彼女に全神経を引きつけられた。

と、その時、私の視界の一番下に、それまで気づいてなかった光景がうつった。
その日の会場は、満員ではなかったものの、程よく人が入っていた。乗り物で言うと、座席にちらほらと一人分くらいのスペースが空いてるところがあるんだけど、立っている人たちもけっこういて、でも、すみませんと言って通してもらって問題なく乗り降りできる程度の人数、といった混み具合か。
いや、それはどうでもいいんだけど、とにかく、最前列だけは見事に人が座っていなかった。一人を除いて。

そう、そのオジさんだけが、最前列のど真ん中に一人ポツンと座っていたのだった。

クラシック音楽が大好きで、いつも最前列ど真ん中に座らずにはいられないオジさん?
いや、大好きだったら、音響を考えて程よく後ろの列の真ん中に座るはず(あんまり前だと首も痛くなるし)。
ふだんはこういうのを聞きつけないけど、何か強力な吸引力でもってど真ん中に張り切って座ってしまったのだろうか。もしかすると、チケットを買う時に、最前列の真ん中が「えっ?まだ空いてるぅ!?」と、喜び勇んで買ったのかもしれない。ドヤ顔で、鼻の穴パンパンに膨らまして。
でも、そんなに勢い込んでその席を買わなくても、その列はオジさん以外、誰も買っていないのだよ。。。

そんないろんな想像を巡らせたのち、わたくし、いつしかやさしく温かい気持ちで、そのオジさんの後頭部を眺めていましたわ。

と、一瞬気をそらしているうち、ついに、彼女が歌い出す時がやって来た。

はたして、そのたたずまいにふさわしい、まろやかな深みのあるすばらしい声で、彼女はマーラーを歌い上げた。ここだけの話、わたくしもウルウルいたしました。たぶん、誰もが魅了されたことと思います。
しかも、彼女はまだ学生で(来年、大学院への進学が決まっているとか)、しかも、地元(厳密には隣町)出身なのだ。
ハッキリ言って、田舎である。
なので、終わってからダーリンに、どうして彼女がこのような土地で発見されたのか!?と、訊かずにいられなかったよね。

ダーリンは、自分たちの演奏については、不満な部分があったらしいのだけど(私は初めて聴いたので、あまりどこがどうとかはなかった)、彼女に関しては、満足いく出来だったのではないでしょうか。
細かく言えば、オケの音量に押され気味な部分がなかったわけじゃないけれど、バランスの問題かもしれないし、とにかく、それを補って余りある…やっぱり声がすばらしいのか?

初々しくあいさつし、指揮者に促されるままに何度かカーテンコールにこたえる彼女に、拍手が鳴り止まない。その時、またしても、私の視界の下の方に、頭の高さくらいまで持ち上げられた手が拍手している光景がうつった。

かぶりつきオジさん、である。

オジさんは、自分の感激を彼女に最大限伝えるべく、手を持ち上げるようにして拍手を送っていたのだった。
それを見た瞬間、私の中に一つのストーリーが完成した。
あのオジさん、ゼッタイに彼女の親戚のオジさんに違いない。
もしくは、学校時代の担任の先生。もしくは、彼女が子供のころ住んでた家の近所のオジさん。
とにかくゼッタイに、子供のころから彼女を知ってて、ずっと応援してるオジさんなんだ!!

彼女の凱旋を、誰よりも楽しみに待っていて、誰よりも近くで見て聴いて、誰よりも強力に応援し、讃えてあげたい。

なるほど、そこからの、最前列ど真ん中なわけね。。。

確かに、これは最前列ど真ん中に座らせるダイソン以上に強力な吸引力には違いないし、彼女にもオジさんがよく見え、来てくれたことを心から喜んだだろう。

この(勝手に妄想した)「いい話」によって、歌と演奏への感動で放水したばかりのわたくしの涙腺に、さらなる刺激が加えられたことは言うまでもありません。

ン年ぶりに再会した彼女の、この上ないすばらしい晴れ姿に、最前列ど真ん中でいつまでも大きな拍手を送るオジさん。そして、大役を果たした原田嬢。

わたくしも、大変いいものを見せていただき、忘れられない夜となりました。。。

posted by miha at 17:21| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサートなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

新年にあたり(!?)


こんなに新年あいさつが遅れたのは、初めてでしょうか!?

新年おめでとうございました。

今年も、更新したりしなかったり、おぴあの弾いたり弾かなかったりしながら、1年を音楽とともに楽しんでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

さて、うちでは、訃報に接した時などに、旅立つ時はどっちが先だろうかって話をしたりしてたんだけど、このたび、またある方の訃報に接し、ダーリンが以前に言った言葉を思い出していました。

ダーリンは自称「情が薄い人間」だそうで、ある時、それが具体的にどういう感じのものなのかを聞いて、こりゃ、私が先でも残されたダーリンは泣かないかもしれないなって思い、それじゃあ悔しい(?)から、絶対に私は先に行かないぞって決意した、なんてことがあった(結婚する前から、愛する人の人生すべてを見たいから、先には行かないって決めていたけど)。でも、万万が一そうなったら、どうする?ってダーリンに訊いたら、「(私の)保険金でいいビオラを買って、それを弾こうかな」って言った。

その情景を思ったら、なんだかちょっと涙が出た。

ダーリンは泣かない(だろうって言ってる)のに、私が自分で泣いてどうする。。。

今回、亡くなった方は、先に奥様を亡くされていた。
それはそれは大きな悲しみだったことと思う。
でも、ずいぶん年が離れて生まれた末のお子さんが自立するまで男手一つでがんばると言っていた。ご自身も病気を患ったりしていたけど、末の娘さんがまだ小さかった、その状況が、逆に大きな生きる支えになっていたのかとも思う。

葬儀のあと、お父さんにそっくりのその娘さんは、お父さんと同じ笑顔で、大学受験をがんばると言っていた。その強さも、お父さん譲りなのだろう。

そして、彼女の笑顔を見ながら、私の中で、故人がこの子を一人で育てるというその情景と、うちのダーリンがビオラを弾いている情景が、何となく重なってしまった。

残された者が生きていく。
その情景には、哀しさと強さ、そしてきっと愛情が満ちている。

と、思いたいんですけど、ダーリンは「愛って、よくわからない」とかまた言うに違いない。
あぁ、悔しい!!

posted by miha at 20:28| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノおけいこ日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月05日

お弾き初め


とっくにあけましたが、今ごろおめでとうございます。

今年は1月の13日にお弾き初めをしました。ちょっと遅めのスタート?
何しろ、去年の終盤のメインイベントは自動車学校通いで、慣れないことをしてるせいか脳が異常に活性化されておぴあの弾いてみても今までにないシナプスの形成を感じたりしたものだったのだけど、そこはそれ、まだまだ若いトシのためか、自動車の運転とピアノでの手の動きに混乱を生じる瞬間もあったために、免許取得まではおぴあのを封印しようと殊勝なことを決意し、どんなに羽生くんがショパンのバラ1で踊って誘惑しようとも、じっとガマン、道半ばで寝かせていたバラ1を起こすことも決してしませんでした。

そして、卒業検定はなんとか年内で受かったものの、本免試験は1月7日、取得したらしたで「実際の」運転に慣れようと、最初は(初日から)ほぼ毎日なんだかんだと運転し、いろいろなためになる事例を実地に学びつつ寿命が縮まる思いで過ごしておりましたので、おぴあのどころではございませんでしたの。

そして、なんとか生き延びておりますわ。そして、おぴあのも、運転と混乱することなく弾いておるところ。

さておき、去年の特記事項として、うちのおぴあのをン十年の時を経てついに調律した!ということをお知らせしなくてはなりません。

思えば、おけいこ再開してから、まだまだ若いトシのせいでペダルのタイミングがうまくできなくなってしまっていた件についてここに書いていたけれど、実は、ペダルとダンパー装置の間のてこのようなものがおかしくなっていて、踏んだタイミングですぐに作用しないという不具合が起きていたことがわかりました。
そのほかにも、よく弾く中間の音域の鍵盤が軒並みちょっと下がっている(浅くなっている)とか、まあ、いろいろありまして、調律からちょっとした修理的なことまで全部で朝の10時から19時くらいまでかかったのだったか。

よみがえったわたくしのおぴあのは、ちょっと戸惑うくらいよく響くピアノに生まれ変わって、今までのように周りへの騒音公害を気遣ってソフトペダルを踏みっ放しで弾くと何がなんだかわからないくらいメリハリがなくなるので、しかたなく通常の音で弾いております(上階が留守の時のみ)。
まあ、たいてい電子ピアノですが。

羽生くんも世界選手権に向けて練習を再開している模様。それに間に合うように、わたくしも急ピッチでおけいこを進め、羽生くんのメダルを後押しする所存です。。。

posted by miha at 14:31| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 最近おけいこしてる曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月17日

一人ボレロ。


深夜。
私は、突然、深海にいて、不気味な静けさを貫くように潜水艦のソナー音が響いて来た。イルカが出してる超音波的なものが、なぜか聞こえちゃってる…みたいな感じもする。モゾモゾ、ポコポコと、何らかの生命体がうごめいてるような気配がある。もしかすると、未知の深海魚かもしれぬ。

すると、またしても突然、今度は突風のようなものが起こり、あたりは一気にサバンナと化した。地鳴りがする。かなりご機嫌斜めか、あるいは、己が力を誇示しようとしてか、象がそこのけそこのけとばかりに喉を鳴らしながらやって来た。
いやいや、待て待て。と、その前に立ちはだかるゴリラ。(象に勝てるのか?)。野太い声でウッホウッホと胸を鳴らす。もしかして、キングコング??どんどんボルテージが上がる。
近くをバッファローの群れが荒々しく通り過ぎる。ドドドドド。ブィブィと息が鳴る。
いや、やっぱ、百獣の王と言えばワシやろ。と、当然のごとく現るるライオン。ここぞとばかりの凄まじい雄叫び。MGMのオープニングロゴどころの騒ぎじゃない。端正でもあり、恐ろしくもあり。。。

と、ここで、激しい砂嵐??
サバンナも密林も砂漠も、アメリカもアフリカもいっしょくたや。。。
と思いきや、あたりは、のどかな牧場に転化。
ぶぅぶぅと豚さんがのんきに通る。
あ、あっちでは牛さんも、もぅもぅ言ってる。
かと思えば、キュキュキュッキュルルとりすさんがかわいく駆け抜ける。
しばし、ほっこりとひなたぼっこ。

しかし、それもつかの間。再び、あたりは海。どうやら、海岸のよう。何かにコーフンしたトドが腹の底から轟音を轟かしている。そんなところにトドっているのかわからないが、ゴーンと荒波が砕けるような、岩が共鳴したような音が混じる。東映のオープニングロゴもまっつぁお。もしかして、海岸にクジラでもドズンと打ち上げられたん違ゃうかな。分厚い空気の層が震えるような深い深い音もする。

そして、あまりに突然。
ごつごつした岩場の続く大地、切り立った岩山のてっぺん、ワントーン高い声を発する何者かが登場。その声のトーンにおいても、大きさにおいても、音の響いて来る方向的にも、すべてが他を超越。つまり、上から掌握、支配してるのだ。今までの者たちが全部ひれ伏すくらいの勢いで。真打ち登場って感じ。それが、ついには飛ぶから驚くよね。ぎぃー、がー。乾いた稲妻が大地を打つかのようだ。ビンビンと余韻が鳴る。
圧巻。。。(文字でお伝えしきれないのが、残念です)
そりゃもう、スペクタクル映画のクライマックスって感じだよね。。。

あとは、一連の登場生物たちが、とっかえひっかえ出たり引っ込んだりが繰り返されるわけなのだ。
その様は、まるで、一人でボレロを演奏してる図式。
楽器ならぬ声帯模写(?)で、魚類、あらゆる哺乳類、そして、果ては、大昔に滅びた巨大爬虫類(つまり、恐竜)まで、だよ。
おそるべし、一人ボレロ。。。

そして、とってもとってもおもしろいから、寝返りのたびに次は何が登場するんだろう?って期待して聞き入ってしまうのが困ったところなのであった。。。(´・ω・`)


※この真打ちが何なのかググってみたところ、私のイメージ的には「プテラノドン」が一番近い。。。


posted by miha at 22:00| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑感とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月10日

二重唱。


とっくに明けまして、ですが、遅ればせながら新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

やっぱりあれ以来、更新できてませんでした。師でも何でもない一介の小市民であるわたくしでも、年末はやっぱり忙しくバタバタ走っていました。
そんな中、元ピアノ講師の友だちのピアノ発表会にも行ってきました。直前に、まだ暗譜ができてない!というメールを寄越していたのだけど、いつものことだと思って、私は大船に乗った気分で聞きに行ったわけで、案の定、本番はちゃんと弾いてました。朝飯前とは言わないまでも、夕飯前くらいでは行けちゃう人なのね。

今回も、私も弾きたいという曲を発掘して来た。というか、今回は、曲そのものでものすごく目新しい発見はなかったのだけど、以前に弾いて、完成させずに放った曲たちを突きつけられて、それをもう一度やろうって思った、その中の一つがメンデルスゾーンの無言歌集の「二重唱」。なぜか、これはもう一度弾かなくては、って強く思えた。
そして、何の因果か偶然か、この発表会の恒例の連弾コーナーで、2台ピアノではないけど二重奏(的なもの)を聞いていて、突然、そうだ、私も連弾しよう!!って思い立った。
この思いつきは、以前も何度かあったのだけど、昔ピアノを習っていた友だちに持ちかけて却下されて、元ピアノ講師の友だちに言ったらいいよって言ってくれたんだけど、レベルが違い過ぎるから、バイエルの時の先生と生徒みたいになるのかなって思ってるうちに、今日までやらずに来ている。

でも、今年は本当にやりたい!

というのも、わたくし、年末12月24日に結婚いたしました(師走にひぃひぃ走りながら、そんなこともしていた)。そして、夫は昔、ピアノを習っていたことが判明している。
できるできる、これならできる!
人の発表会でそんなことを思いついて、もう即決で決めました(その時は、まだ入籍前だったのだが)。
本当は、夫はもっと得意な楽器があるのだけど、私のレベルでの連弾ならきっと彼もできるだろうと勝手に思っているので、よろちく。

そして、私は今、既述の通り村上春樹氏の「意味がなければスイングはない」を(まだ)読んでいる。今朝の通勤途中でも、ちょうどゼルキンとルービンシュタインの項を、すごくすごくおもしろく読んでいた(努力の人で秀才的なゼルキンと、天才肌のルービンシュタインの対比が絶妙)。
すると、ルービンシュタインがある時、アンコール曲を弾こうとすると譜が全部ぶっ飛んでしまって、真っ白になった頭でとっさに、その曲の主題を使ったまるで変奏曲みたいなモノを即興でやって、短調の第二主題まででっち上げて見事に収束させたというエピソードが出て来た。
その曲が、まさに、このメンデルスゾーンの「二重唱」だったので、私は個人的にぶったまげたよね。これは、私に連弾をやれっていう神のお告げに違いない、って。。。だって、ほんの1カ月の間に、この曲がこんなにも私にアピールしてくるなんて、ゼッタイ何かあるでしょう!

ピアノでも連弾。人生も、これからは二重唱。

年明けにそれなりに締まったところで、あらためまして、今年もよろしくお願い申し上げます♪


posted by miha at 22:00| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする